お葬式

葬儀

齋藤吉朗が8月16日に亡くなった。その、知らせが来たのは、8月17日のお昼、共通の友人からの電話だった。

そんな話は聞いてないと、自宅に車を走らせた。自宅には、提灯もなにもなかった。こりゃあ、ガセねただなって思って帰った。

会社に戻ると、彼の勤務先の舟山病院から電話が来た。訃報だった。それから、今日まで、彼との思い出が頭を駆け回ったいた。そして、今日、彼の葬儀が行われた。

葬儀全体

同級生が死んだ。米沢の地でいろいろなことで、励ましあってきた友人が死んだ。

友人たちは、連絡に走り、ようやく連絡のついた友達から、タオルでできた花輪を贈った。生花で葬儀を盛り上げるより、葬儀が終わった後も遺族に残るものを選んだ。タオルなら、必ず使う。

弔辞を読むことになった。彼にも、たくさんの友人がいるが、もし、誰も弔辞を読まないなら、僕が読む。最初に電話をくれた友人も今泉、お前が一番近くにいたんだ。お前が読めといった。

17日、18日、19日といろいろな思い出が頭の中を駆け巡り、弔辞が書けない。いっそ、長井高校の校歌でも歌ってやろうかと思ったくらいだ。

花輪

下書きを何度もして、しっかり、墨をすって、書き直しながら、弔辞を書いた。

書いた後も、修正してしまったので、墨で書き直した恥ずかしい弔辞が出来た。途中の弔辞をここでも紹介したい。彼の惜別の思いをこめて。

『弔辞

齋藤君、今、君のご霊前に立ち、友人を代表してお別れのあいさつを述べます。

齋藤、君と私とは、高校の同級生であり、仕事で、米沢の地に住むようになってからだけでも、もう三十年以上にわたり交友を深めてきました。本日、こうして私が君の弔辞を読むことになるとは、予想だにしませんでした。

君もこよなく愛する母校、長井高校の同級生たちは、芸術家が多く、音楽家、彫刻家、コンサートや、個展とそのたびに、君は、手伝いをかって出て、重い彫刻の展示から、チケットの販売まで、骨身を惜しまず、手伝ってくれました。私が、手伝いに遅れて、打ち上げにだけに来た時も、メールで、「もう、手伝いは終わって、飲んでいるから、来いよ」と連絡をくれたりしていました。自分は、しっかりと汗をかいて手伝っていながら、手伝いの出来なった人にも、気を遣う心から優しい人でした。そんな、君にいつも、私は助けられてきました。

私が七年前に、独立した後は、仕事のことまで、いつも、気にかけてくれました。会うたびに
「会社の方はどうだ?うまくいっているか?」
が、最初の言葉になりました。

いろいろな会議や懇親会の席などで、一緒になると、いつも、
「俺の同級生なんで、よろしく」
と、いろいろな方に紹介してくれました。

一度だけ、齋藤、君に怒られた。あれは、いつだったのか、普段は怒ったりしない齋藤が、
「独立して、今、どんなに小さくても会社のトップなんだぞ。誰が、どこで、見ていたり、話を聞いているかわからないんだぞ。飲んだ席で、チャラチャラと仕事の話をするな。
お前のことが、嫌いだから言うんじゃない、心配だから言うんだ。」
私にそういって、くれました。今も、その言葉が心に焼きついています。

本当の友達っていうのは、表面上、あはは、おほほと笑っているだけじゃないよね。親身になってくれる人のことを言うんだよね。と改めて思っています。

そんな真の友の齋藤の突然の訃報、本当に残念でなりません。

思えば、昨年の6月の長井高校の同窓会。私たちの学年が当番の年で、いままででもっとも多い80名を超える、同級生が参加者しました。6クラスあった先生方も全員参加してくれた同窓会でした。齋藤、君は、カラオケを歌いあんなに盛り上がっていたのに、まるで、あの時の歌は、みんなへのお別れのだったのかと思えてしまいます。

病気に倒れても、友人達に心配をかけまいと、誰にも連絡をしなかった、齋藤。

なんで、そこまで、やさしいのか。そこまで、やさしくならないでいいんだよ。そこまで、みんなに気をつかわなくよかったんだよ。

齋藤、私はもっと、君と話しがしたかった。にこやかに微笑みながら、「それは、違うんじゃないか。」と言ってくれる君と、もっと話がしたかった。
それなのに、なぜ、君は天国への道をこんなに急いでしまったのか。淋しくてなりません。

私は、魂が不滅であると信じています。いつかは、私も君と同じ世界へ行くことでしょう。そのとき、もっとゆっくりと話をしよう。

そのときまで、安らかにお休みください。

さようなら。

平成二十四年八月二十日
長井高校 同級生 代表
今泉 孝』

合掌


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