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第18回竹田・今泉杯テニス大会。小学生のテニス大会だ。
18年も前に始めた大会が、いまだに続いている。もともとは、僕がスポ少の団長だった時代に、スポ少の内部の大会として生まれたのがこの大会だ。
いきなり、県の大会に出るのもなんだから、とりあえず、自分たちの練習の場として大会を企画した。だから、最初は男子も女子もなく、とにかく大会という雰囲気をだそう。って感じだった。
その大会が、18年目を向かえた。竹田杯を男子のカップにして、僕が女子のカップを準備した。それで、竹田・今泉杯である。
県内のこれから大きい大会に出る子供たちの練習大会のような位置づけのこの大会も、今年は福島からの子供も大会にでてくれている。
福島の子供たちも、どんどん出てもらえる大会にしたいと思っている。
そんなことで、子供たちの笑い声が聞こえるのであれば、それは、それで、ある意味、支援だと思っているのだ。
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大学時代、テニスに明け暮れていた。
そのテニスに誘ってくれたのは、同期のO君。いっしょにテニスを始めて、テニスにスキーにいっしょに出かけた親友だ。
テニス部では、ダブルスのペアで、いつも大学の大会に出ていた。
不思議と、なぜか、二人とも調子のいいときはなくて、彼が調子がいいと、僕が悪い。僕が調子のいいときは、彼が調子が悪い。
なかなか、結果が出せないペアだった。
でも、いつも、彼は、僕の事を、「ペア、......」『ペア』って呼んでくれていた。
その彼が突然電話で、「今、喜多方にいる。明日、会えるか?」
うれしかった。

我が母校、工学院大学の硬式庭球部の関東理工科大学 硬式庭球連盟リーグ戦 3年連続昇格祝賀会に東京に来ている。
僕が学生時代と言っても、なんと昭和52年卒業だから、36年前の話だ。
僕らの時代は、まだ、同好会の時代で、ちょうど、僕らが4年の時、一つ下の学年が強い選手が多くて、それでも8部から7部へ昇格し、体育会の硬式庭球部に昇格した。
僕たちの学年が同好会最後のキャプテンのいた時代、そして、僕らが4年のときに同好会から体育会硬式庭球部に昇格したという節目の年代なのだ。
その後輩たちが、平成22年度、23年度、24年度と連続昇格し、今は、関東理工科大学 硬式庭球連盟リーグ戦の2部だ。
そんな、後輩たちを応援しようと、僕たちの学年のメンバーや、次の年代のキャプテンも集まった。
昨日の午後、僕は、まだ仕事で福島にいて、新しいシステムのテストや、打合せでぎっしりだった。
まあ、月末の土曜日。4月から動かすシステムのテストを行っていたのだ。
そんななか、うれしいメールがやってきた。
「コーチ、SFに勝って、1時から、Fです。」
テニスを教えている、教え子からのメールだ。教えているなんて言っても、最近は、なかなかコートに行くこともできず、僕の教え子っていうより、どんどん、いろいろなコーチから教わっている子だ。
時計も見るとまもなく、1時。仕事中に、メールを出すわけにもいかず、どきどきしながら、いい結果が来ることを祈った。
15時半。写真いりのメールが届いた。
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