俊雄大和尚本葬

本葬儀

松林山薬師寺第二十三世 瑠璃光心院大僧正俊雄大和尚の本葬がとりおこなわれた。

わが家は妙高山千手院というお寺であった。その兄寺がここ薬師寺だった。現在は、薬師寺は、私の菩提寺である。千手院がここ薬師寺に併合されてからは、兄寺から、ふるさとになった寺である。

維持できなくなった当時の千手院を、薬師寺との併合という道を検討し、また、それを実行していただいたのが、俊雄大和尚なのである。

法灯を減らすのではなく、かといって、維持できなくなった寺を併合という形で命を永らえた。まさに、難しい問題を解決していただいたのは、俊雄大和尚なのだ。私は、特別な思いで、このお葬式にむかった。

受付の様子

すばらしい天気に恵まれて、受付を済ませた。

門

「山門から、お入りください。」という、受付の方の案内で、山門に向かう。

そういえば、俊雄大和尚も、生前、
「山門を通って、本道に向かう。その時に、心は落ち着いて、ご先祖様と向かいあう気もちになる。参道の途中から、本堂に入るなんていうことは、とんでもないことだ。参道にも、しっかりとした意味がある。」
と言われたことを思い出した。

本堂の前

心が落ち着いてきたというより、まるで、普段見る本堂とは別な感じのする本堂が目の前にあった。

本堂の前2

石畳を本堂に向かって歩いている。なんか、心に空洞があるかのように、すっと本堂に向かって歩いている。

本堂の前には、大きなテントが5個。本堂に入れなった人たちのために準備されている。

いちょうの家

「いちょうの家」の席が見えた。俊雄大和尚が、「いちょうの家」を設立した時に、私の父、今泉英信に、玄関がさびしいから、いちょうの絵を描いて欲しいと頼まれた。

当時の父は、決して上手な絵描きでもなんでもなかったが、確か、200号の油絵を描いて、多少の寄付を一緒に収めたことを思い出した。

私の父の当時の絵が、まだ、いちょうの家にあるかどうかは、わからない。

薬師寺の本堂の前には、大きないちょうの木がある。父が書いた絵も、その木をイメージして書いたものだと思っている。

テントの中

本堂の前にきたら、もう既に、本堂の中はいっぱいで、隣のテントに案内された。

結構、早くきたつもりだったが、仕方がない。前に、大きな、液晶のテレビがある。ここにいても、中の様子はわかるにちがいない。

厳かに葬儀は始まった。

ところが、目の前にある、液晶テレビは天気がいいために反射して何も見えない。音だけが、中の様子を知ることが出来るものだった。

おそらく50名の超えるだろう和尚様の数。その和尚様たちが、延々とお経を読まれる。

離れていても、大合唱団がいるように聞こえる。決して説明が多い葬儀ではないが、厳かさは実に、気高いものがある。

かれこれ、1時間もあっただろうか。厳かな読経の後は、弔詞が読まれ、俊雄大和尚がかわいがっていた、いちょうの家のお子様の弔詞も元気よく、読まれた。

あまりの元気のよいいちょうの家のお子様の弔詞に、いちょうの家の仲間たちが拍手を送った。葬儀の席ではあるのだが、俊雄大和尚は、きっと、喜んで、笑っているように思えた。「みんな、よく、来てくれたなあ」とでも言っているんだろうと思った。

本堂の中

新しい住職の俊章住職の謝辞の中で、父である、俊雄大和尚を師匠と話す場所が何度も出てきた。仏門では、父でも師匠なんだなと思いながら、心の中では、きっと「お父さん」と呼んでいるんだろうなあと思ったりした。

仏門の厳しさを感じたりしたが、俊雄大和尚が、丹念に育てて、種を取って境内に増やした九輪草の話をしている時、親子のやさしい会話が聞こえてくるような気がした。

後で、俊雄大和尚が育てた、九輪草を見てみようと思った。



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