父の命日

父がなくなって、もう15年になるのかなあ。

僕は、親父っこで、親父の背中を見て生きてきていた。たぶん、尊敬する人って言われたら、父と答えるのだろう。もう、死んでしまったけど。

父は、山形師範学校(今の山形大学)を出て、先生になった。若くから偉くなってしまい、あまり、教え子との関係は多くなかった。
ただ、偉くなってしまったため、色々と苦労をしていたような気がする。

でも、どんなに苦労をしていても、つらいとか、悔しいとか言ったことを聞いたことがなかった。誰にも、怒らず、自分で苦労することを少しも惜しまなかった。

そんな父の命日がまた、やってきた。毎年、僕は父の命日にいろんなことを考える。

今年は、この日を切替の日にしようと思っている。もう一度、自分を見直す日のスタートにしようとしている。

父によく言われた。
「ポーカーしているなよ。」(ポカーンとして、ボーとして考え事をしていることが僕は、よくあった。父はそれを見て、ポーカーしているなよってよく言われた。)
「疲れているんだ。早く寝なさい。」(ポーカーの後に必ず、言われた。疲れていることを、父はよく見抜いていた。)
「へたな考え、休むに似たり。」(どうせ、つまらないことを考えているんだろうって、読まれていたね。)
「それは、白昼夢っていうんだよ。」(昼間から、寝ないで夢を見ている。今の僕がそうかもしれない。)

ふと、父を思い出すと、今の自分に父が声をかけていてくれるように思う。
ゆっくり、休んで、リセットしないと、いい知恵は浮かばないかもしれない。


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