故 淀川泰正氏の葬儀
夜の米沢商工会議所地域産業支援センター。
僕の会社がこちらでお世話になっている。その商工会議所の専務。いわゆる、事務方のトップの淀川泰正専務が亡くなった。
今日は、その葬儀だった。淀川専務との接点は、実は、このセンターに入居させてもらうときだった。軽くOKいただいたけど、その時は、単に「入居を認めます。頑張ってください。」くらいで終わりだったと思う。
2年前の大震災の時、帰れなくなった福島大学のテニス部の学生を、このセンターで預かってもらった。仙台で、大会に出ていた学生が、帰れなくなったのだが、しばらくの間、ここにおかせてもらったのだ。
それだけもありがたかったのに、その学生たちに、米沢の牛肉弁当を差し入れしていただいた。
震災後、いち早く、相馬の商工会議所にトラックを仕立てて、支援においでになったらしく、その時も淀川専務が先導を切って行かれたそうだ。
そんなこともあって、帰るところのなくなった学生たちにしばらく、無償でここに置かせていただいたのだ。
その決断力と細やかな配慮にびっくりしたものだった。
つい、先日、6月21日に、この商工会議所の支援センターの中の入居者の会、『ニュービジネス協議会』での総会と懇親会があった。
淀川専務は、初めて、懇親会まで出席してくださった。僕は、その会の会長をしているので、淀川専務と最後まで隣で話しをさせていただいた。
相馬の支援の話や、これからの支援センターに関しても、もっとプロモーションをしていこうとの話も頂戴した。
みんなから、今回の懇親会で、専務とあんなに話できたんだから、一番、得したのは、僕だと言われた。淀川専務は、静かに、日本酒を飲み干した。
まるで、支援センターのみんなに最後の挨拶においでになったように、今、考えると思えてしまう。
「支援センターは、今は、空いているけど、これから、山形大学のELのセンターの関連で、どんどんとこのセンターに会社が入ると思うよ。これから、君たちが頑張らなきゃならない。」
ご葬儀は、いままでに見たこともないような、大きな葬儀だった。弔電も250通もあり、読みきれなかった。献花も葬儀場に入りきれず、外までならなんでいた。
受付の近くまで、椅子が並べられ、映像がテレビに映し出されていた。
6月21日に僕が杯を交わせていただいた人は、こんなに有名な、偉大な人だったんだと改めて思った。
やさしい目で僕たちを見ていていただいた。
淀川専務が造られたこの地域産業支援センターで生まれたわが社が、米沢のためにしっかりとした会社にすることをお約束し、心から、お悔やみを申し上げます。合掌。