kazueちゃん

「あんたの1歳の写真があるんだよ。私といっしょに撮っている写真がね。」

「え、なんで」

17日(土)、高校時代の同級生が、いっぱい飲もうぜって集まっていた。

僕は、恥ずかしい話だけど、仕事が終わらなくて、ずいぶん遅れて、集まりの中に入った。

そんな中で、僕とkazueちゃんがいっしょに写っている写真があるという話。どういうことなのかわからなかった。

どうして、そういう写真があるんだ。タイムマシンで、いっしょに58年前まで戻ることも出来ないし、ぜんぜんわからない。

僕がだいぶ遅れていった間に、kazueちゃんは、だいぶ飲んでいて、いろんな事を教えてくれた。

高校を卒業してから、もう、40年もたつんだぞ。そんな話を聞いたことがなかったからね。

kazueちゃんのお母さんと僕の母は、学校の先生で、二人とも豊田小学校に勤務していたときに、僕とkazueちゃんは生まれたらしい。その時の写真なのだ。

ユーミンの「卒業写真」の話みたいに、淡い、恋の話でもあれば、かっこいいんだけど、生まれたばかりの話では、まったく、わからない。

「そうなんだ、僕の母と、kazueちゃんのお母さんは、いっしょだったんだ。」

ふと、母の事を思い出した。もう、13回忌も終わったから、ずいぶん前の話だけど、くも膜下出血で倒れて、半年で亡くなった母を思い出した。

そんなことを思い出していたら、「kazueちゃんて、あのkazueちゃんなの?」と僕はわけのわからない奇声を上げた。

小さい時に、とにかく比較されたんだよね。

僕は、とにかく、しきたれ(しぴたれ)だったらしく。(どちらも、意気地なしの意味。男としては、とても恥ずかしい話なんだけど)
母は、「kazueちゃんみたいに、なんで出来ないの」

「kazueちゃんくらい、しっかりしていれば」

「kazueちゃんの爪の垢飲ませて欲しい」

「kazueちゃんと、性格が逆ならよかったのに」

よく、kazueちゃんという言葉が出ていた。それは覚えているんだけど、それが、今、目の前にいる「kazueちゃん」とは、まったく結びつかなかった。

「えー、ウソー」 「えー、ウソー」を繰り返した。

そうなんだ。あのころ、よく言われていた、kazueちゃんは、この子だったんだ。

高校時代ももしかしたら、母はkazueちゃんが同じ高校に入ったことを知っていて、
「kazueちゃんは、すごく、活発な子で、おまえなんか、ほんとにしぴたれだった。」
なんて、話をしているんだと思う。そうじゃなきゃ、たぶん、これだけ、kazueちゃんという名前を覚えているとは思えない。

でも、そのころはkazueちゃんを学校で確認することもなく、高校を卒業し、大学に行って、そして、40年の月日を経て、再度、母の言葉と、目の前のkazueちゃんを認識している。

もし、母が生きていたら、なんて言ったんだろうね。kazueちゃんになんと言う声をかけるのだろうか?
「やっぱり、kazueちゃんは、活発だね。」かなあ

「kazueちゃんのお母さんは、ご健在ですか?」と聞いてみた。

ご健在という返事を聞くと、是非ともお会いしたいと言った。あの当時のしぴたれだった僕は少し変わっただろうか?

きっと 「やっぱり、しぴたれだね。」と言われるに違いない。

亡くなってもう十数年になる母のおもかげを思い出した、素敵な酒の会だった。


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