ちびっ子選手たちへ

小学1年生だろうと、中学生だろうと、テニスって競技は、一人でコートに立ちプレーしなければならない。誰も助けてくれない。いやな競技だ。その中で、成長していくんだね。

あるちびっ子選手が、僕以外のコーチの指導で悩んで電話くれた。
指導してくれるコーチ達も選手をつぶしたくて言っているわけではなく、なんとか上手にしたいと思って言っている。
ところが、テニスって奴は、とても個性的で同じフォームで打っている人はプロでもいない。
その辺が野球なんかとは違うところで、基礎なんてほとんどない。みんな、個性の集まりだ。
前は、僕も子供が習っているコーチに主眼を置いていて、たとえば、米沢ではプロのコーチのKコーチから習っている子供であれば、そっちから聞けと言って相手にしなかった。Wコーチの子供は、Wコーチに聞くべきだという考えをしていた。だから、今泉コーチに聞いても教えてくれないという話が出ていた。
今年のシーズンの初めに、山形県テニス協会のMさんが、「米沢も選手の指導がバラバラでなく、一貫した指導をしないと強い選手が出てこないんではないか」と言われた話をもれ聞いて、僕も一代奮起、指導法を統一しようとした。しかし、当然といえば、当然だが、「妥協できる案は、基本は今泉案にしても、子供の体力や個性を見て、各コーチの裁量に任せるとしてはどうか。」結局、コーチの裁量という言葉で一貫した指導は夢になってしまった。
ただ、これが間違いではなくて、各コーチが個性があるのは当たり前なんだと思う。それが正しいと思う。いろいろなコーチのところに、子供達は頼ってきているんだと思う。
だから、今は、どのコーチに習っている子供であろうと、聞かれたら、教えてというヘルプがきたら、僕の理論で教えることにしている。ただし、子供からのヘルプが先だ。他のコーチの子供をこっちから教えることはしない。あくまで、悩んで聞きにきたら、教える。教える限りは、僕の理論で教える。それが、一番責任ある行動だと思っている。
子供を教える場合、教える方のコーチの責任ときっと父兄は言うかもしれないが、小学校の担任の先生を変えることはできないだろうけれど、テニスのコーチは、教えられる側で選ぶことができる。父兄が好きなコーチに習うもいいだろうし、子供が好きなコーチに習うのもいいだろう。コーチを選ぶのは、スポンサーの父兄であり、選手の子供だ。
コーチの責任なんかありゃしない。教えられる側の責任だ。勝つために熱く語ってくる子供には、どんなコーチも熱く教えるだろう。たまたま、今泉コーチがいるから聞いてみな。と言われ、お母さんに聞いてこいと言われた。という子供にコーチが熱く語るだろうか?きっとその子供は、別なコーチに聞きたかったんじゃないかな。

ある生徒が、「コーチはボールを線で打ちますか?点で打ちますか?」と聞いてきた。僕は、「点で打てと教えるよ」と答えた。その生徒は、別なコーチの下で頑張っている。そして、しっかりと成績を出している。指導方針を聞いてきて、コーチを選ぶのは、選手の責任だ。選手が信じるコーチの下で選手は育っていくと思っている。

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