父の命日
福島へ出かけた。もちろん、仕事でだよ。
途中、栗子峠。かなり紅葉もきれいだ。(この辺は、米沢スキー場の手前、高度も低い。これ以上の高いところは、もう、紅葉も終わりに近い感じだ。)
でも、こんな時期に、父は亡くなったんだなあ。もう、何年になるんだろうか?
朝、お線香を立てながら思った。
僕は、父っこだから、お袋よりも何でも父がよくて、母は淋しかったかもしれない。
でも、今思うと、母もそれなりに、感謝はしていたので、怒ったりはしなかった。
ふと、父は天国でどのように、僕を見ているだろうかと思ってしまった。
たぶん、「まあ、無理するなよ。」って言っているんだろうなあ。僕も父の「無理するな」が口癖になってしまい、子供たちにも、部下にも「無理するなよ」と言ってしまう。
「疲れて、ひょろひょろじゃないか。無理しないで、休みなさい。」
よく言われていた。「ひょろひょろ」ってどういう、形容詞だ?
たぶん、今なら、ふらふら。「疲れてもう、ふらふらじゃないか。もう、休みなさい。」だったんだろう。
ずっと、やさしい父だった。
切れ味のいい、父だった。父を追い越すのが、夢だった。父を追い越す前に、父はなくなった。脳内出血で倒れて介護をしていた僕に、母が言った。「お前は、もう、父を越したよ。」
母は、父の介護をしている僕に、せめてものお礼のつもりで言ったのだろう。
ただ、僕はいまだに、父を越してはいない。僕が、この仕事を成功しない限り、僕は、父を越すことはできないんだと思う。
僕が父を越すのは、この会社を磐石なものにした時だと思っている。
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